2008年 01月 25日
ライブハウスの裏の顔 |
以前もちょっと触れたライブハウスの「愚公移山」。
その後移転したと聞いていたが、数カ月前、その移転先を偶然見つけた。
それは何と段祺瑞政府跡の一角。広大な敷地に、繊細な彫刻が施された解放前の西洋建築が並ぶ場所だ。この場所自体は見学したことが何度もあったが、残念ながらライブハウスの方には、なかなか入るチャンスがないままでいた。
ところが、この間、文物保護中心の「老北京之友」の活動に参加した時のこと。その集合場所が「瑞府戯院」となっていて、いざ行ってみると、まさにこの「愚公移山」だった。
その日の活動は、台詞も衣装も動作もない、京劇の歌唱だけを聞き、付近の文化財建築を参観する、というもの。
早速入ってみると、ドラムやら、アンプやらといった、こてこてのロック用の機材や楽器の中で、京劇の楽団と歌い手が熱い演奏を繰り広げている。
よーく聴いていると、どうもこちらで「票友」と呼ばれるアマチュア京劇愛好会の例会で、皆が自慢の喉を披露しているところらしい。楽団は結構本格的で、舞台裏で予備稽古している人たちも、なかなか真剣な様子。
つまり、ライブハウスである場所が、週末の昼間だけ京劇の舞台になる、というしくみらしい。名前まで風刺の効いた「愚公移山」から、雅やかな「瑞府戯院」に変えてしまうのだ。
民族音楽も、ライブも、小さな空間で聴いてこそ面白いと思うから、問題はないはずなのだが、やっぱり、ちょっとびっくり。日本に自分のお寺をライブハウスにするお坊さんがいると聞いたことがあるが、それと似ている。
中国の人たちが空間を利用するさいの柔軟さには時々感心するけど、今回も「やられた」と思った。
会の後半は、プロが混じり、かなりいい声が聞けた。だが、さすがにいい音響を誇るライブハウスだけはあった。マイクの効果が良すぎて、声が甲高い場所で耳がつらかったのだ。もっとも、「票友」の大半は高齢者だから、これぐらいの方が彼らは補聴器をつけずに済んで助かるのにちがいない。
思い起こせば、私が十数年前に初めて中国に来たきっかけは、語学留学でも普通の観光旅行でもなくて、こういった「票友」に似た人たちに混じって江南音楽の竹笛を練習するためだった。場所は上海の工場跡やお廟跡だったけれど、雰囲気は少し似ていて、懐かしい。
ちなみに、最近、麻薬所持で話題になった張元監督の「看上去很美」を観た。広大な宮廷建築が幼稚園になっていて、面白かった。文化財建築が幼稚園や学校になっている例は中国では数多いが、中にはなかなか入れない。
この映画の詳しい感想は別の機会に譲るとして、このすでにある建物はできるだけ利用する、という、建物の歴史的背景とかそもそもの用途とかをまったく切り離して考える解放後の中国のやり方は、時にとても創造的な面白い効果を生んでいる、とつくづく思う。
私も、主人公の方槍槍のように、先生の言うことがなかなか守れない園児であったし、規律の多い生活も大の苦手ではあるけれど、こと建物に関しては、暴力的でありながら、歴史を日常に溶け込ませてしまうような、そんな空間で、幼稚園生活を送ってみたかった、とふと思った。
その後移転したと聞いていたが、数カ月前、その移転先を偶然見つけた。
それは何と段祺瑞政府跡の一角。広大な敷地に、繊細な彫刻が施された解放前の西洋建築が並ぶ場所だ。この場所自体は見学したことが何度もあったが、残念ながらライブハウスの方には、なかなか入るチャンスがないままでいた。
ところが、この間、文物保護中心の「老北京之友」の活動に参加した時のこと。その集合場所が「瑞府戯院」となっていて、いざ行ってみると、まさにこの「愚公移山」だった。
その日の活動は、台詞も衣装も動作もない、京劇の歌唱だけを聞き、付近の文化財建築を参観する、というもの。
早速入ってみると、ドラムやら、アンプやらといった、こてこてのロック用の機材や楽器の中で、京劇の楽団と歌い手が熱い演奏を繰り広げている。
よーく聴いていると、どうもこちらで「票友」と呼ばれるアマチュア京劇愛好会の例会で、皆が自慢の喉を披露しているところらしい。楽団は結構本格的で、舞台裏で予備稽古している人たちも、なかなか真剣な様子。
つまり、ライブハウスである場所が、週末の昼間だけ京劇の舞台になる、というしくみらしい。名前まで風刺の効いた「愚公移山」から、雅やかな「瑞府戯院」に変えてしまうのだ。
民族音楽も、ライブも、小さな空間で聴いてこそ面白いと思うから、問題はないはずなのだが、やっぱり、ちょっとびっくり。日本に自分のお寺をライブハウスにするお坊さんがいると聞いたことがあるが、それと似ている。
中国の人たちが空間を利用するさいの柔軟さには時々感心するけど、今回も「やられた」と思った。
会の後半は、プロが混じり、かなりいい声が聞けた。だが、さすがにいい音響を誇るライブハウスだけはあった。マイクの効果が良すぎて、声が甲高い場所で耳がつらかったのだ。もっとも、「票友」の大半は高齢者だから、これぐらいの方が彼らは補聴器をつけずに済んで助かるのにちがいない。
思い起こせば、私が十数年前に初めて中国に来たきっかけは、語学留学でも普通の観光旅行でもなくて、こういった「票友」に似た人たちに混じって江南音楽の竹笛を練習するためだった。場所は上海の工場跡やお廟跡だったけれど、雰囲気は少し似ていて、懐かしい。
ちなみに、最近、麻薬所持で話題になった張元監督の「看上去很美」を観た。広大な宮廷建築が幼稚園になっていて、面白かった。文化財建築が幼稚園や学校になっている例は中国では数多いが、中にはなかなか入れない。
この映画の詳しい感想は別の機会に譲るとして、このすでにある建物はできるだけ利用する、という、建物の歴史的背景とかそもそもの用途とかをまったく切り離して考える解放後の中国のやり方は、時にとても創造的な面白い効果を生んでいる、とつくづく思う。
私も、主人公の方槍槍のように、先生の言うことがなかなか守れない園児であったし、規律の多い生活も大の苦手ではあるけれど、こと建物に関しては、暴力的でありながら、歴史を日常に溶け込ませてしまうような、そんな空間で、幼稚園生活を送ってみたかった、とふと思った。
by linjing
| 2008-01-25 01:22
| 胡同