2006年 08月 21日
とこしえの春 |
出張で雲南省の昆明に行った。ここでバカンス+里帰り生活を過ごしている、ある著名な画家さんをインタビューするためだった。お金を貯めていつか行きたい、とずっとあこがれていた場所に出張で軽々と行けてしまうと、ちょっと複雑な気持ちになるが、それはさておいて、非常に収穫の多い出張だった。
何より酷暑の北京を発ち、たったの3時間で昆明の街に降り立つと、まずその空気の軽さ、気持ちよさに感動する。見たことのない花が一斉に咲いていて、「春城」という昆明の別名は、全くこの街にぴったりだと感じる。
以前、北京でまだ留学生をしていたとき、絶妙だなあ、と思う名前を持つ人に二人出会ったことがある。一つは昆明出身の李永春さん、もう一つはハルピンの北の村出身の汪雪さん。「とこしえの春」、は昆明の気候をぴったり表しているし、「いっぱいたまった雪」は北国の雪景色にぴったりだ。いずれもありふれた名前だが、その人の故里の背景をしっかり表していて、自分で名前をつけるならこういう名前をつけたいものだと思ったものだった。
その李永春さんと当時、互いの故里についての話をしていたとき、「静岡県出身ですか、では、静岡県の特産はなんですか?」と聞かれて、「お茶、ミカン、わさび」と答えると、「それじゃあ、私の故里と同じではないですか!」と言われ、へええ、と思ったことがある。雲南では、日本に輸出するため、わさびがかなり大量に生産されているそうだ。
そんなこんなで親近感を覚えていた昆明ではあったが、実際訪れてみると、静岡県にはどこを探してもない大都会だった。それもそのはず、人口何と150万。市街区にはビルが建ち並び、デパートには高級ブランドもたくさん進出している。ただし、大都会にも関わらず、街のいろんな場所に花が咲き乱れていて、街路樹も多く、自然との親近感を感じる街だった。静岡県は日本人が引退後に住みたい県ナンバーワンだそうだが、私は昆明で、引退したらここで老後っていうのもいいかも、と思った。
作家さんへのインタビューを終えた後、噂に聞いていた芸術家村に案内してもらった。小型の798廠のような感じだが、歴史は798より古いという。作家さんのアトリエを幾つか訪問させてもらい、夜中の十二時すぎまで彼らにくっついて歩いた。小さな場所だけにお互いの人間関係は濃密で、作家同士でよく集まっては一緒にご飯を食べたりトランプをしたり雑談を交わしたりしているようだ。日本のアート関係者が訪れたことはほとんどないようで、ある作家いわく「ここの生活は平穏そのもの。あんたが来たこともちょっとした事件になるぐらいさ」とのこと。アート感覚に満ちた空間と、そのアットホームな感じがとても気持ちよく、いつまでもいたい気がしたが、実際はここで創作を続ける現代アート作家の生存条件は北京よりずっと厳しいということだ。和やかな感じの裏にはいろいろな葛藤を抱えながら暮らしているのだろう。因みにここにあるバーは地元のタクシーの運転手さんも利用するぐらいだそうで、その地元住民になじんだ感じからも、798にはない和やかさを感じた。
二日間にも満たないとても短い滞在だったが、昆明で過ごした時間は他に比べようもなく充実したものだった。靖国参拝問題でいろいろと気がもめるこの頃だが、昆明では生の現実そのものからはちょっと引いて、少し大きな視点から現実を描いている作家さんといろいろ話ができ、少し気持ちのバランスが取れた気がした。
何より酷暑の北京を発ち、たったの3時間で昆明の街に降り立つと、まずその空気の軽さ、気持ちよさに感動する。見たことのない花が一斉に咲いていて、「春城」という昆明の別名は、全くこの街にぴったりだと感じる。
以前、北京でまだ留学生をしていたとき、絶妙だなあ、と思う名前を持つ人に二人出会ったことがある。一つは昆明出身の李永春さん、もう一つはハルピンの北の村出身の汪雪さん。「とこしえの春」、は昆明の気候をぴったり表しているし、「いっぱいたまった雪」は北国の雪景色にぴったりだ。いずれもありふれた名前だが、その人の故里の背景をしっかり表していて、自分で名前をつけるならこういう名前をつけたいものだと思ったものだった。
その李永春さんと当時、互いの故里についての話をしていたとき、「静岡県出身ですか、では、静岡県の特産はなんですか?」と聞かれて、「お茶、ミカン、わさび」と答えると、「それじゃあ、私の故里と同じではないですか!」と言われ、へええ、と思ったことがある。雲南では、日本に輸出するため、わさびがかなり大量に生産されているそうだ。
そんなこんなで親近感を覚えていた昆明ではあったが、実際訪れてみると、静岡県にはどこを探してもない大都会だった。それもそのはず、人口何と150万。市街区にはビルが建ち並び、デパートには高級ブランドもたくさん進出している。ただし、大都会にも関わらず、街のいろんな場所に花が咲き乱れていて、街路樹も多く、自然との親近感を感じる街だった。静岡県は日本人が引退後に住みたい県ナンバーワンだそうだが、私は昆明で、引退したらここで老後っていうのもいいかも、と思った。
作家さんへのインタビューを終えた後、噂に聞いていた芸術家村に案内してもらった。小型の798廠のような感じだが、歴史は798より古いという。作家さんのアトリエを幾つか訪問させてもらい、夜中の十二時すぎまで彼らにくっついて歩いた。小さな場所だけにお互いの人間関係は濃密で、作家同士でよく集まっては一緒にご飯を食べたりトランプをしたり雑談を交わしたりしているようだ。日本のアート関係者が訪れたことはほとんどないようで、ある作家いわく「ここの生活は平穏そのもの。あんたが来たこともちょっとした事件になるぐらいさ」とのこと。アート感覚に満ちた空間と、そのアットホームな感じがとても気持ちよく、いつまでもいたい気がしたが、実際はここで創作を続ける現代アート作家の生存条件は北京よりずっと厳しいということだ。和やかな感じの裏にはいろいろな葛藤を抱えながら暮らしているのだろう。因みにここにあるバーは地元のタクシーの運転手さんも利用するぐらいだそうで、その地元住民になじんだ感じからも、798にはない和やかさを感じた。
二日間にも満たないとても短い滞在だったが、昆明で過ごした時間は他に比べようもなく充実したものだった。靖国参拝問題でいろいろと気がもめるこの頃だが、昆明では生の現実そのものからはちょっと引いて、少し大きな視点から現実を描いている作家さんといろいろ話ができ、少し気持ちのバランスが取れた気がした。
by Linjing
| 2006-08-21 04:01
| 芸術